スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
スケジュールが合わず、観たかったのだけど観れなかった映画を観ることができました。

「祝福の海」

この映画をなぜ観たいと思ったのか。
「大切にしていきたいと思っていること」の確認をしたかったのかもしれないと観終わって思いました。

映画の中で祝島に暮らしているある方が話されていた言葉「体の半分は海でできていて、もう半分は山でできている。だから海や山が元気でないと、自分も元気が無くなる」

とても的を得られている言葉で、海や山から命を分けていただいている人間は、海や山が元気では無くして力を頂ける訳はありません。
そして、海や山が汚れて生きづらくなっている生きものたちを見て胸が痛まない訳はありません。

海や山に身を置いて暮らしている人たちは、海や山の様子の変化を敏感に感じられています。
その土地を慈しみ暮らしている人たち、生きものたちがいる場所に出された原発建設計画。

上映後、東条監督が「祝島で起こっていることと沖縄で起こっていることは同じで原発と基地が変わっただけだと感じる」と話されていました。

余りに理不尽過ぎる出来事が世の中で起こっていて、そんな話題を目の当たりにすると心の中に暗雲が立ち込めます。でも映画を観終わると、その暗雲の中に灯火が灯されたような気持ちになりました。

その灯火は自分が大切にしていきたいと思っていることを、同じように思っている人がいるという心強さかもしれません。



会場で準備して下さっていた祝島の蛸ひじきごはんのおむすび。滋味深く美味しかった。
スポンサーサイト
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
早朝か寝静まる前のご飯の催促方法。

日中は鳴いて意思表示。

早朝か深夜は「鳴くのはマズイ」と思っているのか鳴かない。

しかし、お皿の音も割と響く。





追記
未分類 | コメント(2) | トラックバック(0)
爽やかな五月晴れのある日「なかよし作業所生活展」に行ってきました。



陶芸の窯工房には何度かお伺いさせていただいているのですが、毎年開催されている生活展に足を運ぶのは初めて。
部屋に入ると作品がズラリ。









大胆なタッチのもの、細かく繊細な作業が伺えるもの、一つ一つの作品からその人らしさが伝わってきます。作品を眺めていると陶芸の作業を見守り続けられている池谷先生が窯のこと、土のこと、火のこと、そして陶芸作業をされているなかよし作業所のなかまたちのことを、作品を眺めながらじっくりお話し下さいました。
池谷先生が作品を眺めながらお話し下さった中で一番よく話されていた言葉は「これは電気ではできひん。窯やからできるんや」という言葉でした。それは焼きの話で、私が作品に見られる艶や、作品によって色合いが違うことに釉薬かどうかを最初にお聞きしたからか、作品の焼きの色艶を話すときに話されていた言葉でした。
電気だと温度がしっかり管理されていて、その温度から作られる焼きの風合いがある程度定まってきます。でも窯は薪をくべて一定以上の温度に上げると後はもうその作品自身が身に受ける温度次第。作品が並べられた様子によって窯の中の火のめぐりは変わり、隣に並んだ作品の大きさによっても身に受ける温度は変わります。その時その瞬間によって焼きの風合いが変わることを、池谷先生がお話し下さって窯に入っている作品を思い浮かべることによって知りました。そして池谷先生は「どんな焼きになるかは、窯から出さへんとわからへん。面白いで!」ととても嬉しそうにお話しされていました。

池谷先生は、わからない結果をなんと楽しまれていることか。
結果に縛られずなんて気持ちが自由であられるのか。

世の中には求められた結果がきっちり用意されていることが多々あります。そのため世の中が上手く機能していることも数多くあると思います。でもその結果に人は縛られていないか、求められた結果が準備されていないとダメで終えられていないか、そんなことを池谷先生のお話の余韻から感じました。

そして人として大切にしていきたいことの軸についても、なかよし作業所さんが発行された「なかよしの一歩」の中の一文を読むと思いが巡るのでした。



澤田真一 ― 土を楽しむ

なかよし作業所から約10キロメートル離れた山あいに、陶芸工房はある。まさに手づくりの建物で、土の土間である。土が生きる空間である。

澤田真一君の作品に対する評価は、芸術家として国際的に名前も知られるようになりました。
授産施設等で作られる作品の多くが、芸術作品として評価されることもなく、消えてゆくことを思えば極めて稀なことだと考えています。
2006年4月の障害者自立支援法の施工以後、障害者が働く「授産施設」は「高い工賃を得る」ことが目標とされるようになりました。工賃が高ければ、施設が受け取る報酬単価も高くなり、多くの施設はそのことに主眼を置くようになっています。結果、陶芸等の経費がかかり「お金にならない」分野への比重は、急速に縮小され続けています。私たちはそのことが問題ではないかと思っています。
人は働くだけでは豊かになれません。文化や芸術分野への取り組みを通してこそ、豊かな人格を培うものです。障害者の平均工賃が「幾ら」ということが、すべての価値基準ではありません。平均工賃を「高くすれば良い」という短絡的な考えでは、「お金にならない」芸術分野というものは、福祉施設から消えてなくなってしまいます。
陶芸や芸術分野は、一度火を消せば復活させるのは数十年という時間を要します。その間、澤田君のような芸術家が存在したとしても、私たちは見出すことはできないでしょう。
本書をご覧いただければ、澤田真一君が、作品に打ち込む姿と、澤田君にさりげなく支援を送り続けている池谷正晴先生が目に入ってくると思います。手を加えず、それでいて必要なところに適度の刺激を「付加する」、40年以上の経験者だからこそできる絶妙なバランスです。
澤田君の作品は、栗東市の小さな工房から、遥々海を越えて出て行くようになりましたが、そのような評価とは関係なく、「作りたい物を作る」という彼の姿のなかに私たちが本当に大切にしなければならないことを伝えているように思えてなりません。

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

鑑賞(写真展)

2016/05/31 Tue 22:54

P5270001_R.jpg

先日気になっていた写真展に行ってきました。
旅本などで少し昔の風合いの街並みに魅力を感じていた尾道。
数年前、初めて尾道に足を運んだのは、とある猫好き手芸作家さんから「尾道良かった!」と絶賛旅話をお聞きしたことがきっかけでした。
旅に出る前に先ずどの辺にどの位猫が出没するのかを事前チェック。「尾道 猫」というキーワードで画像検索し、挙がってきた多くの画像の中から場所が掴めそうな写真を次々眺めていてふとある写真が目に留まりました。その写真が今回写真展を開催された藤井孝憲さんの写真でした。藤井さんは尾道や真鍋島の風景と猫とを撮られた写真をブログに以前から載せられていて、「猫いる場所探し」という目的を忘れて写真に引き込まれていたのを覚えています。ブログを拝見していると、写真展の案内をされていたので「ああ、やっぱり撮るだけでなく展示までされて写真に向き合われている方なんだな」と納得。その時一緒に写真展をされた蔵人さんの写真を紹介されていたのですが、蔵人さんが以前開催された「猫街散策」という写真展で出展された、おばあさんと猫との写真が一際印象に残っていて、写真展を開催されるなら一度観に行きたいなと思っていました。そして今回ウェブ上ではなく、直に写真を見せていただける写真展、最終日滑り込みで鑑賞させていただくことができました。
写真を撮るとき、フレーム内に何をどうおさめるかということは写真を撮るときの楽しみの一つだったりします。写真展で展示されていた写真にはのんびり穏やかな流れる島時間がおさめられているような感じがしました。動画ではなく静止画なのに時間の流れを感じる、撮影する人の視点や写真の可能性、面白さを改めて感じました。
私が足を運んだ時間帯は平日の昼下がりだったので、ゆっくり鑑賞させていただいたのですが、もうお一方熱心に鑑賞されているご婦人がいらっしゃいました。出展されている方とお知り合いなのかなと何となく思いお尋ねすると、そうではなく好きで猫写真を北は北海道、南は石垣島まで撮りに行かれているとのこと。私も猫好きで写真は上手く撮れないけど、撮ることは好きなんですとお話すると、ご親切に写真や猫催事について色々と教えて下さり、そして展示されている写真をご覧になられてのご自身のご感想もお話し下さいました。ご感想をお聞きしていると、今まで写真を撮られてきた方ならではの視点が感じられました。そんなことから、鑑賞を通して生まれる感情はその人だけにしか生み出せない感情であって、「鑑賞する」という行いは「芸術作品に接して、味わい理解すること」という受動的な行いですが、自分自身に立ち戻る時間でもあるのかなとふと思えたのでした。
そしてその日から数日後、ご親切に猫の催し案内を送るからと言って下さっていたその方から郵便物が届いて開けてみてびっくり、その方の写真集でした。
頁をめくると、漁港とノラ猫の様々な表情に心が揺さぶられました。これだけ様々な表情を捉えられるにはかなり足繁く足を運ばれたのだろうなという思いが否めません。
秋岡さんは写真集のはじめの言葉の末尾に、そんな撮影に費やされた時間を「私の人生で最高に幸せな10年でした」と括られていました。

P5270002_R.jpg

P5270003_R.jpg

P5270004_R.jpg

P5270005_R.jpg

P5270006_R.jpg

P5270009_R.jpg

未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

心に泉ができるような

2016/03/31 Thu 21:35

いつもいた人がいない

そのことを感じると心にぽっかり穴が空くような感覚に。
でも穴は空いたままではなく、暫くすると何かによって満ちてくる。

お見舞いに行ったとき調子が悪いと「せっかくの休みやのに申し訳ないわ」と言って逆に気遣ってもらってお土産にジュースをもらったり。
いつも人の気持ちを汲もうとする人だった。

昨年の夏、ハンディを持つ子と夏休みの間一緒に過ごすボランティアに誘ってくれた彼女。
この春休み、彼女の姿が見られないことはわかっていたことだけど、違和感と寂寥感を感じてしまうボランティアスタートだった。
でも、昨年夏から久し振りに出会う子たちのちょっとした変化を感じたり、笑う時間を一緒に過ごしたりしていると、いつの間にか気持ちが満ちてきていた。

満ちてくる何かは汲んでもらった気持ちかもしれないな。

「お墓に入るよりお地蔵さんになりたい」そんな思いを持っていた彼女がやまなみ工房さんにお願いして準備していたお地蔵さん。
彼女とどこかしら似ていると言われているお地蔵さんは「見て見て!面白いよね~!」とよく面白いものを見つけて教えてくれた彼女の表情と重なる。
お土産にいただいたジュースの瓶は何かに使いたいなと思って残している。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)
 | HOME | Next »

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。